私の思い


About Me - This is what I think -

今から約1年前のある日、当時働いていた会社のオフィスで夜中遅くまで残業していた時のことでした。当時、私はとある商社で、経済産業省傘下の法人から業務委託を受け、ラオス国内にその他日本企業とともにデータセンターを構築するというプロジェクトに参画していました。入社5年目にして非常にやりがいのあるプロジェクトに携わることができ、毎月のように海外を飛び回る日々を送っていました。

それは社会を全く知らなかった学生時代、就職活動中の私が夢見た毎日でした。しかも主戦場はラオス。幼少期にインドネシアの貧困を目の当たりにした私が、同じく就職活動中に自問自答した、「なぜ自分は働くのか?」という答えに少しでも近づいていると実感するには十分やりがいのある仕事でした。

しかしながら、そのある夜、日本政府から請け負う業務委託費用を必死に計算していた時、自分の単価(時給)が安価に固定化されていることに気づいたのでした。別にこのこと自体、不思議なことではありませんが、その時私は、「私は私の人生の時間を売って生きている」という一方の事実に気付きました。より正確に言うならば、私は私の生み出すプロダクトやサービスではなく、私自身を売って生きている、という表現になるでしょうか。

学生時代は経済学部に所属していたため、マクロ経済学やミクロ経済学を一通り学習はしていましたが、どうも表層的な学習にとどまっていたような気がします。「GDPは国内総生産、GDIは国内総所得のこと。三面等価の原則でGDP=GDIが成立する。」と覚えていましたが、その本質には全く気がついていませんでした。その本質は分かりやすく言うと当たり前のことなのですが、「資本主義経済の中では、社会への貢献度が周り回って評価されて、個人としての収入として帰ってくる、企業としての売上となるのであり、したがって収入や売上(所得度合い)はその人・その企業の社会貢献度(生産度合い)を表している」ということです。

誤解のなきよう申し上げておくと、私は労働者としての生き方を否定しているわけでは決してありませんし、人生の一義的な目標として、いわゆる金持ちになりたいわけではありません。そうではなく、私個人に帰属するスキルを売るのではなく、自らの手で産み出したプロダクトやサービスを売りたい、その結果として社会を少しでもより豊かにしたいと思うようになった、ということです。上司や同僚だけの役に立つのではなく、社会の役に立ちたい、そう強く思っています。

あの日を境に、私の人生にとって、「なぜ自分は働くのか?」という命題に対する手段は変わってしまいました。今でも以前と少しも目的は変わって いないつもりですが・・・

人生は短く、儚いものですが、内村鑑三が「後世への最大遺物」の中で言っているように、私は私の人生の中で私なりの事業を遺したい。たった一度きりの人生なら、私なりの生涯を遺したい。そのように考えながら、プロダクト・サービスの開発に日々勤しんでいます。